白虎隊

舞台のチケ、予約したまま金払うの忘れてた。当日券で行こうと思っていたのに、起きたら夜だった。自分最低!吉澤がメイドの格好をしているらしく、そんなん見たいに決まってんじゃん!なんで忘れるかな!寝てるかな!最低だ!楽日まではまだ回数あるんで、それまではネタバレ回避しつつ絶対に行く。でもさ、メイドに萌えるか萌えないかでいうと、そのままじゃ萌えない訳ですよ。メイド喫茶なんて好きでメイドの格好してる子ばかりだべ?そんなん違う!と言いたいのです。メイドでごめんなさい、本当はメイドなんてやりたくないんです、でも金の為に仕方なく笑顔のバラ売りしながらご主人様とか言ってるんです、っていうバックグラウンドがないと萌えない。だってご主人様大好き☆ならメイドよりペットのワンコのがかわいいじゃないか。でだ。吉澤がメイドの格好をするという時、どこに萌えを見出すかというと、照れだと思う訳。しかし!舞台で役を演じている吉澤に果たして照れは存在するのか否か!まぁあっても見せないだろうなと。じゃあどこに萌えれば良いのか。ただメイドの格好をするなら岡田のが萌える。藤本のが萌える。桃子のが!愛理のがハマる!吉澤に求めているのはそういう王道(藤本のはある意味王道)的な萌えとは違うのだ。彼女を見ていると、本来同居しえないものが同居しているかのようなアンバランスさに気づき、惹かれる。そしてその瞳の美しさに、アンバランスに見えた佇まいが彼女の「純粋」さに起因しているのだと悟る。つまり、人が誰でも持ちうる二面性を吉澤はその純粋さ故、陰と陽の区別なく曝け出し、隠しているのだ。アンバランスである事が、吉澤の人間性の美しさを物語っていると言えよう。そしてそれこそが、彼女の最大の魅力でもあるのだ。さて、現代日本においてメイドと言えばきゃわいい女の子がフリフリっとした衣装を身に纏い、プリプリっと媚びながら「おかえりなさいませ、ご主人たま」である。対して吉澤の一番分かりやすいイメージはと言うと、体育会系の美人な男前だ。メイドと吉澤、この二つを掛け合わせればそこに現れるのはアンバランスな存在。金髪美人にプリプリ。筋肉質な足にフリフリ。本来同居しえないものの同居。そう、これは吉澤の持つ普遍的な魅力を分かりやすく視覚に訴えているのだ。メイド衣装の吉澤を見る、(それは萌えを超えた)吉澤の人間性が放つ魅力を見ると言っても過言ではない。
過言だ。適当だ。